FC2ブログ

たーばにすと

ARTICLE PAGE

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

“悲しみと絶望の世界”で輝きを追い求める、少女たちと青年の“魔法奇譚 -マギカ-” - 「アイドルマスター シンデレラガールズ」第1話感想

 


島村卯月はアイドルを夢見て養成所に通う普通の女の子。
ある日卯月の前にやって来た346プロダクションのプロデューサーに、シンデレラプロジェクトの再選考枠三名のうちの一人として合格したと告げられる。
喜ぶ卯月だがプロジェクトスタートにはメンバーがまだ二人足りず……。
Pはもう一人のアイドル候補、渋谷凛をスカウトしようとしていた。
しかし凛はアイドルに興味がないとスカウトを突っぱねていて……。
フライデーナイトフィーバーキャンペーン #1 あらすじ




■のっけから突飛な主張をブチ上げる。

満を持して放映された、「モバマス」TVアニメ版の第1話。

それを観て、自分がいの一番に思ったのは、



「アイドルマスター シンデレラガールズ」というコンテンツは、
アニメも原作ゲームも含めて


「魔法少女まどか☆マギカ(以下まどマギ)」

へのオマージュ的性格
を多分に持った作品なのではないか



…ということです。




■3つの理由

その考えに至った理由は、以下の3つ。



(1) 「シンデレラ」→「魔法」という題材。


(2) 原作ゲームのサービス開始が2011年11月と、
TV版「まどマギ」が話題を呼んだ約半年後、というタイミング。


ここまでだと、こじつけもいいとこ、と思われる方も多いかと思います。
でも、最大の理由は3つ目の、



(3) 卯月・凛を始めとするアイドル達や、
アニメ版のプロデューサー(武内P)の性格設定。




アニメ第1話は、原作ゲームを知らない人や、
これまで気づいていなかった人(筆者含む)にもしっかり伝わるように、


卯月や凛の抱える“心の痛み”

すなわち、彼女たちが(『まどマギ』のまどか・ほむらと同質の)
表主人公/裏主人公である、という“理由”を完璧に描き切ってくれた、
導入としては最高のものだと感じました。


まどマギに絡まない感想全般も含めて、
以下で詳しく語っていきます。



(当シリーズ記事の執筆スタンスについては別記事に記載してますので、
そちらを頭に置いてくだされば、よりスムーズにお読みいただける、かも?)




(以下、ネタバレ注意)




■第1話「Who is in the pumpkin carriage?」

■武内Pについて(彼が“キュゥべえ・眼鏡ほむらである”理由)

■「時計」と「アネモネの花」と「ハナコ」。

■凛について(彼女が“ほむらである”理由)

■Nation Blue

■卯月について(彼女が“まどかである”理由)

■「信じることを止めた冷たい世界」に咲く、一本の桜。そのピュアな温かさ

■未央について(仮)

■「バッドエンド」を越えて

■次回、第2話「I never seen such a beautiful castle」

 
 

■第1話「Who is in the pumpkin carriage?」



「カボチャの馬車に乗っているのは誰?」




解説するまでもなく、童話「シンデレラ」がモチーフです。

今作(原作ゲーム時から)の基本コンセプトとして、
登場アイドルを「シンデレラ」=おとぎばなしの主人公に見立てています。


ヒロイン達が最初からアイドルという立場であった
無印「アイドルマスター」(以下、765版)とは異なり、

“ごく普通の女の子”がスカウトされるところから始まる
「シンデレラストーリー」という意味合いもあるでしょう。




ただ、単純に登場アイドル=シンデレラ、という解釈だと、

みんながシンデレラ=カボチャの馬車に乗っているのであって、
あえて「誰?」と問いかける必要はないように思えます。




卯月、凛、未央を始めとした「普通の女の子」達が、

「お姫様のイメージそのもの」である楓さん達先輩組と肩を並べて、
(あるいは彼女たちを追い越して、)



トップアイドルという一握りのシンデレラに、
おとぎばなしの主人公になれるのか?




という、
アーケード版の無印「アイドルマスター」から一貫して続く基本コンセプト―


「アイドルの世界」=「バトル」


を内包したサブタイトルなのではないか?

と自分は考えています。




(これは、『お願い!シンデレラ』を歌った面々の


『みんながシンデレラ(=『俺にとって』一番のアイドル)に、
王子様(=『私にとって』一番のファン)になれるから!』


という言葉と、
必ずしも矛盾するものではないと思います。)


 

■武内Pについて(彼が“キュゥべえ・眼鏡ほむらである”理由)


寡黙で、不器用な、“悪目立ちする”大男という、

765版アニメでの赤羽根Pとはおよそかけ離れた
(真逆とも言える)プロデューサー。



初見の時点では、自分は彼に対してものすごい違和感、
というより戸惑いがありました。


「え、これがPなの?ホントに?」
「後から違う人が出てくるんじゃないの?」

と。




でも、放送後一晩寝てから整理してみると、

やっぱりこれが今回のPなのだ、

むしろこのシンデレラの物語を描くためには
必然とも言えるキャラクターなのだ


と思えてきました。




自分が最初に武内Pを見て戸惑ったのは、やっぱり
赤羽根Pのイメージが強かったから、ということが挙げられます。




765版アニメの赤羽根Pは、

視聴対象に
原作の第1作=アーケード版からの同業P(ユーザー)が一定以上含まれることから、


古参のアーケードゲーマーに多いと思われる
「ゲームを攻略して、ねじ伏せてやるぞ!」という気質、


有り体に言えば

「俺はゲームが得意だ!」という、

雄っぽい気質を “内に秘めた”キャラクターとなっていました。


(19話=真回で、ゾンビをバリバリ撃ちまくっていたシーンがその象徴と言えます)



プロデューサー業自体は不慣れなため最初は失敗もしたり、
雪歩と同じで犬が怖かったり、
男女比の関係で押されがちだったりで、

アイドル達に対しては(原作のコンセプトに忠実に?)
“日陰の存在”であり続けましたが、


爽やかで、コミュニケーションスキルも高く、
アイドルプロデュースを成功させる事、
彼女たちに慕われる事は必然、と思える
ようなキャラクターでした。



765版のゲームを攻略したPの方であれば、
すんなり感情移入する(あるいは『コイツなら任せられる』と認める)
ことが可能だったと思います。




でも、今やアイマスを取り巻くユーザー層は、
そういうP達だけではなくなっています。


アニメやCD、またはLIVEパートの動画や二次創作で初めて興味を持ったけど、

箱○版やPS3版はクリアできなかったり、
敷居の高さを感じて尻込みしてしまう、という人も多いでしょう。

(完全に自分のことなんすけどね!)



そういう層は、海千山千の「攻略済み」Pに比べれば

“ゲームに対する自信”、
ひいては「アイドル
(女の子)とのコミュニケーション」
という面での自信は確実に低い
と言えます。


(ギャルゲー=現実のコミュニケーションなのか?
というツッコミは当然あるでしょうが、

システムやテキストを作るクリエイターさんの意識としては
『恋愛(etc.)シミュレーション』である以上、

(架空の設定・キャラクターという条件の下での)
『リアルなコミュニケーション』を疑似体験させようと
心血を注いでおられるのではないかと)





シンデレラやミリオンといった派生作品が作られた背景には、
「キャラを増やしてコンテンツの寿命を延ばす」という単純な目的だけではなく、

“コアなP”と“ライトなP”の断層を少しでも埋める、すなわち


「シンプルなソシャゲを間口として設け、
そこで慣れたPを、元々表現したかった
アケマス・箱マスタイプのゲームに誘導する」



という目的もあるように思えます。

(ゲーム内での構図としては、ちっひがコアなPに対して課金を要求し、
新たなPを“育てる”ための礎となってもらっている、という状況です)




上記考察の通り、

筆者のように無印本編のゲーム性から
(言葉は悪いですが)「落ちこぼれた層」がターゲットとなるのであれば、

そのアニメ化作品のPは、
そういう層が共感できるキャラクターにしなければならない。



つまり、
赤羽根Pと比べて自信の無い、
不器用な
(コミュ的な意味でも感覚神経・運動神経的な意味でも)
発展途上のP。





この性質は、


同様に自信が無く、

実際、魔法で強化しなければ人並みの運動もままならず、

真実を仲間に伝えようとしても
全く信用してもらえずに敵視されてしまうという、


「まどマギ」のほむら=近年“ターゲット層”の共感を呼んだであろうキャラクター
に通じるものです。




そして実は、

相手(人間)のことが「わけがわからない」
QBさん(キュゥべえ)も、

“コミュニケーション不全”として
ほむらと同質だと見ることができます。



なので、武内Pにも

キュゥべえと同じ役割

(契約し魔法をかけ、
普通の少女を非日常の世界へ導く)を担わせる。


(まぁ、QBさんの方に
人間の機微を理解しようという気はさらさら無いのですが)




また、赤羽根Pのように
無名のプロダクションをトップに押し上げるほどの力は現時点では発揮できない
(≒デレマスPがリアリティを感じられない)ため、


346プロという「既に力を持っている」プロダクション

(シンデレラのお城、
『宇宙のバランサー』という巨大な存在であるインキュベーター、
またはデレマス上がりのPから見た現在のアイマスというコンテンツの暗喩?)

に所属させ、彼の後押しとする。




彼のキャラクター設定は、


モバマスならプレイできる、という
自信のないPの感情移入対象
になるためのものであり、


赤羽根Pのような「理想的な」Pに近付いていく
“途中”
ということを体現したものであり、


また私的な感想として、非常に「俺得」なものだと思っています。





1話では、関東ほかでの放映と同時に
ニコ生を放送する、という試みがありました。


自分は15分遅れのサンテレビ民、
かつ(存在しないはずの^^;)一般会員なので、
後からタイムシフトで観たんですが、


本編が流れたその瞬間には
武内Pに対して違和感や疑問を持っていても、

その直後の「中の人17歳」という「ネタ」公開と顔見せ、

「765版のアニメとは逆順の作り
(ラストにライブと赤羽根Pの紹介⇔導入でライブ〜武内P登場)」という種明かしで、


ニコ生が終わる頃には、すんなり受け入れてしまえそうな感じになっていましたね。



おそらく、本編単体では同業Pたち、

特にニコ生までチェックするようなガチPの間に
少なからず戸惑いも生じるであろうことがわかっていて、

即座に“お墨付き”を付加できるよう、抜け目なく計算された上での
ニコ生同時放送という「戦略」だったのだろうなぁ、と思います。



 

■「時計」と「アネモネの花」と「ハナコ」。


OPのライブシーンが終わった後、
卯月の養成所に場面が移ったところで


「調整中」の張り紙が貼られた時計
(=止まっていると思われる)
が映りました。



何度もオーディションに落ち続け
(足止めされ続け)ながら、
そこでレッスンを続ける卯月。


そこに、武内Pが
「CINDERELLA PROJECT」への誘いの話を携えて現れます。

その時、時計に貼られた「調整中」の張り紙が
ハラリと落ちます。

(=止まっていた時間が動き出す)





今回、大々的にフィーチャーされているのが、
“背景や小道具に意図を込める”手法です。


765版でも一部で使われていたものなので、斬新というわけではないのですが、

シーンの意図や、
その時のキャラの状況・心情を増幅して伝えるもの
として、
強い印象を残します。




「期待」「希望」の花言葉を持つ、と前半で紹介されていたアネモネの花が、


凛が卯月の想いと武内Pの説得を聞いた後、

夜の自室で逡巡している時に
再びパッと映る
、というのは、


今話、そして凛の心理を読み解くにあたって
とても重要で、印象に残る演出だと思います。




また、花つながりで、

公園にて卯月が凛に自身の想い
(“花開ける時をずっと待っていた”)を語っている時、

藤棚や花壇の花が連続で映ったりしています。


(植物には明るくないので、
個々の花の種類とその花言葉については、特定班の意見を聞いてみたいところです。)



卯月が拾い上げた、
地に落ちていた桜の花も、それに含まれると思われます。




ちなみに、桜の花言葉としては、
『精神の美』『純潔』というものがあるようですね。


ここまで演出意図に含まれている!と
断言することは無論できませんが、

それを手に取った卯月の純粋な想い、
そしてその想いに凛が心を動かされた瞬間、花びらがぶわっと舞い散っていた、

という描写を考えるとピッタリだと思います。





春という設定上、桜は全編に渡って咲いていましたが、

卯月が武内Pと出会う前や、
凛が警察官や取り巻きに誤解されるというようなシーンでは、


桜の木が画面内にあっても

冷たく硬いアスファルトの灰色の方がメインになる

(灰を被る)ような配置がされていて、


卯月の語りのシーンだけが、公園の土(自然=ナチュラル)の上、というのも
明確に対比として使われているのではないかと思います。



これも取ってつけた屁理屈ではなく、

キービジュアルやPVが初公開された時から
紫や暖色系、アースカラーが強めに使われていて(765版と明らかな差別化がされていて)

現実の現代社会を舞台にしながらも
幻想的な、おとぎばなしのような雰囲気作りがされている、

というところからの連想です。



今回で言えば、デビューの決まった卯月が
凛の実家である花屋を訪れ、祝いの花を選ぶシーンは、

夕方から夜(トワイライト)という時間帯と、電球色の店内照明で
そのものズバリな色遣いでした。


「私、がんばります!」と、
行きずりの店員に対しても純粋な笑顔を向ける卯月。

夢中になれる物もなく、現実に流されるだけだった凛にとっては、
ある意味「おとぎばなし」のような一時だったのではないでしょうか。



最後に映った、去っていく卯月を眺める凛。

一体何を思っていたのか?
その横顔(表情)は、とても意味深です。




いま書いたように、背景だけではなく

“『表情』や『何気ない仕草・セリフ』に、
キャラの心情を込める”


作り方もされていると思います。


そちらの最たる例としては、武内Pの、首元を押さえる仕草
(=『うまくいかない』心情の表出)が挙げられます。




説得の時でもなかなか目線を合わせられなかったり、
質問に対して答え(られ)なかったり、と、

とにかく自信の無さを伺わせる武内Pですが、



養成所の隅にアイドル雑誌が広げてあるのを見て、

レッスンを続けながらずっと待っている卯月の胸中
(アイドルへの期待、希望)をしっかりと察し、


「申し訳ありません」
と謝罪しています。



このようなキャラの思考、心の動きは、
一から十まで本人に言葉にして語らせなくとも
周辺情報からひしひしと伝わってくるように作られています。



武内Pというキャラクターが、
たとえどんなに不器用(過失を犯す可能性はある)だろうとも、

同ポジションのQBさんのように、少女の希望を
「故意に」食い物にしようとしているのではない
誠実な人柄の持ち主であるのは、まず間違いないと言えるでしょう。





冒頭の「調整中」だった時計のシーンは、

武内Pが、卯月にとって
「止まった時」の振り子を再び揺り動かす、
大切な存在
であるということ。



そして、

子供まで含めたあらゆる人から不審者扱いされ、
道端の犬にもさんざん吠えられていた武内Pに対して

ハナコだけは懐いたのは、



「この人は、主人(凛)の救い主である」と感じ取った

…ということなのだと思っています。



 

■凛について(彼女が“ほむらである”理由)


いつもの制服姿で初登場したシーンにて見せた横顔が、


あたかも「叛逆の物語」ラストのほむらのごとく、

“世界に対する不満を募らせ切った目”だった凛。



その表情に「(未来の)笑顔」を見出した武内Pの慧眼によって、
事案っぽい熱心な勧誘を受けることになります。




上でも触れた初顔出しのシーンでは、
駆けつけた警察官も、恐らく通報した人も、周囲の取り巻きもみんな、

凛を外見だけで判断し、
「子供を泣かせた」と決め付けています。




その場にいた全ての人間(泣いていてフォローができない、当の子供を除く)の中で
唯一、武内Pだけが、

「もう少し、彼女の話を聞いては…」

凛を色眼鏡で見ず、中立な姿勢を貫きました。




武内Pに助けられた形になった凛は、その直後だけ声色が“緩んで”いました。

気恥ずかしいような嬉しいような。



しかしその後、名刺を差し出されると、

(武内P『アイドルに興味はありませんか?』)


みるみるうちに“尖る”

(凛『無い』



「ここの演技は大事だ、とスタッフさんに言われた」
凛役のふーりんがそう仰っていましたね。

我々同業Pにもしっかり伝わりましたよ。




他のシーンから伝わる武内Pの人柄を考えれば、

彼が凛をアイドルに誘ったのは
まず間違いなく「彼女に笑顔をもたらすための手段」でもあって、


打算的・成果至上主義な人間が「それだけを優先する」であろう
「自分や所属組織の利益」

「結果として、一緒について来るもの」という考えのように思えるのですが、



「おもむろに名刺を差し出す」という行為が

「ありがちな悪どい勧誘」と同じ体裁になってしまったため、


凛は「金儲けに利用するためだけに近づいた」
という“誤解”を持ってしまったようです。




これはまさしく、
「まどマギ」の作中で繰り返し描かれたような“すれ違い”の状態です。




そして実は、
警官や取り巻きの決め付けに不満を募らせていた凛自身も、武内Pに対して

一つの行動と見た目で判断し、不信感を抱いている状態

と言えます。



本作の舞台である現代社会では、そう判断した方が賢明とされているため
致し方ないところであり、

我々視聴者も、初見では凛に同調するのが普通ではあるのですが。




(まどマギのQBさんも『キャッチセールス』だった、という前提で考えていくと、
このシーンは


武内P『僕と契約して魔法少女になってよ!』

凛『どうせ、エネルギーだけが狙いの詐欺師なんでしょ』



と読み替えることができてしまい、

キュゥべえのせいで、
物語の中でさえ“甘い夢”を見られない
ほどスレてしまった
“本作の対象ユーザー”
たちに対するメタな問題提起、とも解釈できるように思います。)



 

■Nation Blue




今週の模写。


ちょっとヒネくれたチョイスをします。


明らかに名場面っぽいシーンは、
今後もたぶんあんまり描きません。

そういう場面は、直接キャプチャーなどされた方が
クオリティも高くて満足できると思いますしね。




凛が、公園で卯月の想いや武内Pの説得を聞いた後、

夜の自室で、アイドルになるかどうか(?)
考えを巡らせている場面でのワンカットです。


「期待」「希望」の花言葉を持つアネモネの花が一輪、机の上のコップに挿してあり、

それに視線をやった直後に、胸のあたりをぎゅっと握り締める凛。




そして翌日、凛はスカウトを受けることを宣言します。


その結論に至るまでの、「はっきりとした」心情描写はありません。




でも、そこそこモバマス界隈に接していた方であれば、

凛担当Pではなかったとしても、
今話に含まれる情報だけで、彼女の心を推し量ることができます。




Bパート、武内Pがお巡りさんに変質者と間違われた後の喫茶店で
凛は「なぜ自分にアイドルになれと言うのか」尋ね、


その後、武内Pの“回答”として

「いま、あなたは楽しいですか?」

から始まる語りがありました。



それを聞いた凛は

「どういう意味?」

「アンタには関係ない」


という反応だったので、

一見、要点を得ない、意味深なだけのシーンにも思えますが…




その語りのシーンでは、劇伴(BGM)として
既存楽曲のインストアレンジが使われていました。




その楽曲とは、

「Nation Blue」です。



原曲をCDで歌ったメンバーに凛も含まれているので、
凛に少しでも関心があれば
聴いてみたという方も少なくはないと思いますし、

たまたま関連ラジオ番組や店頭などで流れて、
なんとなく耳に残っている…という程度でも問題ありません。




その原曲の、今回流れた箇所の歌詞を思い出してみてください。
サビの一番印象に残る部分です。




諦めること無く 前を向いて 自分信じてね
いつもキミを見てる




「いつもキミを見てる」
話の流れ上「事案」的な意味にも取れてしまうので
そこはいったん置いておくとして(笑)、


一番大事だと思われるのは
「諦めること無く〜」の部分です。



これは、このシーンにおける
武内Pから凛への語り、その真意そのものなのではないでしょうか。




上記の語りかけから繋がるシーンでは、
凛はなんだかんだでアイドル雑誌を手に取ってみたり
部活に打ち込む他の生徒を物憂げな表情で眺めたりしているので、

その場では突っぱねはしたものの、
武内Pの指摘はある程度的を射ていたのではないかと思えます。




そして本項冒頭の画像のシーンで、凛は

「期待」「希望」の花言葉を持つアネモネの花を見て、
胸をぎゅっと握りしめています。




それはつまり、


過去に期待や希望を抱いて裏切られ、

「諦め」「前を向いて自分を信じることをやめ」、

心を閉ざしてしまっていた



ということなのではないでしょうか?




基本スペックは高く、“周りに合わせる”ことはできる。

日常の中では「良い子」としてソツなく立ち振る舞ってはいる。



でも…



部活や雑誌(≒流行)などの、
(凛にとってはおそらく)協調の名の下に“所属すべき”世界
その中に、夢中になれるものはない。


そして、帰るべき家において普段やっている事も
「店番と犬の散歩」と、
(※一般的なイメージとして)
とても“自分自身が心からやりたい事”ではないように見えます。




上記のような、
“本心を隠し、周りに合わせる”凛の立ち回り方は、実は、


「まどマギ」の脚本を担当した虚淵玄さんが、

不登校・ひきこもりの方やその関係者向けのWebインタビュー
“世界から孤立することなく、自己も保ち続ける”方法の一つとして
(『自分もそういうスタンスかもしれない』とも)言及した、


「世の中とコミットしながらも心だけひきこもる」

という姿勢そのものです。



このインタビュー自体、「まどマギ」のヒットを受けて行われたものと思われますので、
同作のファンであれば、当時ご覧になった方も多いでしょう。



ここまでの、凛絡みの一連のシーンは、

「Nation Blue」の歌詞さえ知っていれば、


「諦める」→本当の願いを隠して立ち回る→心はひきこもっている
という連想で、

上記ソース記事、
ひいては「まどマギ」との関連性を伺うことができる作り
となっています。





凛が「諦め」ているのは、

上記記事の「心がひきこもる」=「他者に見せない」という表現と、

本人の能力自体は高く見えることから、


“自分自身のこと”
“願いを叶えられる可能性”

というよりは


“自分の本心が他人に受け入れられること”
“願いが叶う=世界に受け入れてもらえる可能性”

であるように思えます。




これは、「まどマギ」の中で例えるならば

・優等生でスポーツ万能(※ただし正解予習&ドーピング有)

・真実(本心)を仲間に伝えた結果、敵視されてしまう→「もう誰にも頼らない」

という、


(眼鏡を外した後の)ほむらに近いと言えます。

(まどマギ第1話で描かれた、彼女の教室=日常面での振る舞いも、
まさしく『コミットしながら心だけひきこもる』ものでした。)



もしそうであれば、
同じくほむら気質を持つ武内Pと凛は似た者同士ということになります。

今回、既に警察(他者、社会)に偏見を持たれた者同士ですしね。




武内Pよりずっと器用そうに見える凛も、
(本心をオープンにするという点では)実は不器用であり、

武内Pと同じ葛藤、生きづらさを内に抱えた、
ある意味「同志」とも言える存在なのではないか、と思っています。




上で取り上げた「Nation Blue」の歌詞の
「いつもキミを見てる」という部分は、


武内Pが

「そんな君を見て、心配しています。」

「打算で近づいたのではなく、
本気で君の心を案じています。」


…という意味なのでしょう。




そして、これまで周囲に合わせるばかりだった凛も、
卯月の笑顔を見て

(あたかも、まどかに救われたほむらが
『彼女を守れる私になりたいと願ったように)、

変わりたい、「期待・希望」を持ちたいと思った。


それが、彼女がアイドルになることを決意した理由なのだろう、と思います。


 

■卯月について(彼女が“まどかである”理由)


“記号的な”キャラ紹介は、

765版の春香と同じく
「アイドルに憧れる、普通の女の子」



しかして、その実態は


“かつて普通だった”気質を持つ、

「さとり世代の」女の子=「まどマギ」のまどかと同質の女の子



だと思っています。




今話では凛が武内Pと“同類の存在”として重点的に描かれているため、

「センターなのに影が薄い…」と思われそうですが、


彼女もまた、重要なテーマを背負っている「主人公」です。





「さとり世代」という言葉について、
Wikipediaを参照すると…



「現実を悟っているように見え」る、
いわゆる「ゆとり世代」とほぼ同じ範囲の若者世代のことであり、


「物心ついたころには既にバブルが崩壊し
経験が不況のみであり、
(後略)



「打たれ弱い特徴がある」

「やたらと他人の目を気にし、人にやたら気遣う特徴がある」



という記述があります。



アイマスの大元のテーマ・理想と言える「上昇」からは真逆の
「無成長の時代」に生まれ育ち、

「自分は成長できる」「上っていける」
という実感を持たない、自信のない世代


と言うことができそうです。




また、卯月を含む「さとり世代」のは、平均すると概ね
バブル世代(or『新人類』)にあたるようで、

娘・息子とは対照的に、右肩上がりの経済成長が頂点を極めた
=努力して成長するという価値観が最も一般化していたと想像できる)世代。

(※当時の海外の風刺画などを見ると、『日本式』が世界を席巻した描写が顕著で、ビックリします。)



「まどマギ」の主人公・まどかの母親である詢子さんが、バリバリのキャリアウーマンであり、

作中世界は未来なので実際には違いますが、現代であれば
まさにこの世代では?と想像できるキャラクターです。



そして、まどかはそんなお母さんと
「友達のように仲が良い」反面、

言い換えるならば自分達とも近い“ものさし”の中で“強く輝いている母”
「何の取り柄もない私」の落差を嫌応なく認識させられる環境にあって、

ひそかに無力感を抱いているのですが…




今話の描写を見る限り、
卯月にも、まどかと同じ気質があるように思えます。





公園で語られた、卯月がアイドルになりたい理由。




「きらきらした何かになれる日が、きっと私にも来るんだ、って」




このシーンのセリフから、「きらきらした何か」

絶対に「アイドル」でなければいけない、
合理的な理由
を見出すことはできません。

『何か』なので、まさしく“きらきらできれば何でもいい”とも読めます)


直前に、
『アイドルがどんな仕事なのかよく分かってない』という発言もあります。




それでも、かつて観たアイドルが「きらきらしていた」という、
そのたった一点だけで、憧れ、なりたいと思っている。


どこか、切迫したものを感じさせます。





「きらきらした何かになれる日が、きっと私にも来る」
という言葉は、


(何かの分野で)きらきらしている、そんな人になりたい

→今の私はそうではない(きらきらできるものが何もない)


と読み替えることができます。




つまり、卯月もまどか同様、

「私には何の取り柄もない(笑顔以外)

というコンプレックスを抱えている
のではないかと推測できます。





ただ、卯月の場合は、

「頑張れば、いつか私もきらきらできる(成長できる)」という「期待・希望」
=“バブル世代までの『普通な』価値観”

も持ち合わせています。



これは、バブル世代だと思われる
親の価値観がそのまま反映されたもの、と推測できますね。

(この“親の刷り込み”というバックボーンこそが、
表面的なキャラ付け・作中での立ち位置以上に
『まどマギ』本編時点のまどかと強く共通しているのではないか?と妄想させられる部分です)





ここで、卯月・まどかには合致しないため上では引用しなかった、
「さとり世代」のもう一つの特徴である


「インターネットを利用して育ってきていることから現実への知識が豊富で、

無駄な努力や衝突は避け、大きな夢や高望みが無く、
合理性を重視する傾向がある」



という部分に注目してみます。




仮に、卯月が過去に
「頑張ればきらきらできる!」という自身の期待・希望を打ち明けていたとしても、

それは同世代の中ではイレギュラーな価値観であり、


周りには「合理的でない」として
受け入れられなかったのではないでしょうか。

養成所の「同期の子たちはみんな辞めていってしまった」という描写は、
彼らのそのような『合理的』気質が表れた一例だ、とも考えられます。



もし、卯月が自分の価値観を周りに分かってもらおうと思うなら、

「そこまで言うなら、合理的な結果を」、
「頑張ったら実現できた、という実例を見せろ」

ということになるでしょうね。





ここでポイントとなるのが、

今話からのPでも十分理解できるほどに、卯月の口癖となっている
「頑張ります!」です。





私見なのですが、
卯月より上の世代、世間一般での「頑張り」って、


「成功した人のプロセス」の事と
半ばイコールになってしまっている部分があると思うんですよね。



成功者やその周囲は「頑張ったから成功した」と喧伝するし、
幼少期に誰もが読んだ「ウサギとカメ」の寓話を、都合良く解釈する人もいるしで、

「結果を出せなかった人は頑張ってない」事にされがちというか。



だから、結果を出せなければ

「(サボってないで)もっと頑張れよ!」
という事になる。




でも、卯月と同世代の
「成長のない」「緩やかに衰退していく」世界に産まれた子、

特に、子供時代に「ステータス」になるような物で突出できていない子達には、

「よく頑張った!」と自他共に認められるほどの
達成感を味わえる機会なんてほとんど無い。



仮に、日常の事でささやかな成功があったとしても、
それ以上の悲観的な情報が毎日否応なく流れてくるので、

それが自分の未来に繋がる、という実感がまったく持てない。




さとり世代のほとんどの子達は、
「頑張るだけ無駄」という価値観に到達して、「納得」するのだと考えられますが、



親世代の影響を強く受けた(価値観を刷り込まれた)子の場合、


自分はいつも「他の人(※)みたいな有益な結果が出せない」

→自分は全然「頑張れていない」



ということになってしまう。


[※いちばん身近でまず最初に参考にできるのは、やはり親であると思われ、
『お父さんorお母さんがそうなんだったら、(同世代の友達も含め)みんなきっとそうなんだろう』
と考えているんじゃないでしょうか。]




周りからも、


上の世代「頑張れてないじゃないか」

同世代「ほれみろ、頑張ったって意味ないじゃないか」



と、『嘘つき』扱いを受けてしまうおまけ付きで、


打たれ弱く、周囲を気にする性質から
自己否定に走ってしまう可能性が高いと思われます。




そのうえ現実は、
個人の頑張りではどうにもならない事までどんどん突きつけて来る。


でも、もっと些細な事でさえ「達成できていない」のだから、
当人にとっては両方とも同じ「達成できなかった事」であって、

個人で何とかできる事との区別がつかない。


結果、自力ではどうしようもない事柄でさえ

「自分はダメなんだ」
「ダメな自分はもっと頑張らないと」 と抱え込んでいく。






養成所の先生の
「卯月ちゃん頑張ってるわよ」という言葉は、

「笑顔以外自信がなくて」「成果を出せていない」彼女にとっては
救いの言葉であると同時に、

「でも、結局意味がないものだ」という虚しさも喚起させてしまう言葉。




だから、

「もっと頑張りまーーす!(>口<)」

と、無茶をしてでも頑張ろうとしてしまう。




穏やかで、ただ彼女の可愛さの表現に見えるシーンなのですが、
ついそんな想像をしてしまいます。





卯月は決して
「定型文」を発し続ける「ロボット」ではなく、

明るい態度と一本槍な言葉の奥に、悲痛なまでの想いを抱えた
一人の女の子なのだ、


と、自分は今話を観て理解しました。




そして、そんな彼女を

「頑張りは報われることもある」「成長していける」

という夢の階段
へと導いてくれた存在が、今話の武内Pだったのだ、と。



 

■「信じることを止めた冷たい世界」に咲く、一本の桜。そのピュアな温かさ




今週の模写その2。


舌の根も乾かないうちに、思いっきり名シーンです。

卯月について考えれば考えるほど、
ここだけはどうしてもスルーできなかった…!




卯月の「きらきらしたい」という真っすぐな想い
武内Pを「それでも信じる」純粋な想い
(公園の土の上で、ナチュラルに
は、

凛や武内Pを取り巻く、その他大勢の冷酷さ
(冷たいアスファルトとコンクリートの世界で『灰を被せる』

と、明らかに対照的に描かれています。



駅前広場?で凛が誤解されるシーンでの
お巡りさんや取り巻きの群衆は言わずもがな、

凛のクラスメイトすらも、「不審者」(武内P)を話題にした時に
“嘲るような”笑い方をしています。

(もし普通の笑い方で良いシーンなのであれば、
不必要に反感を抱かせないよう、ちゃんとディレクションが入るはずなので、
たぶん意図的なのではないかと思われます。)


いたいけな子供までが、武内Pを見た目で判断して
「おじちゃん悪い人?」です。




もちろん、出てくる人物みんながみんな
冷酷だというわけではありません。


養成所の先生や、(遊んでいて?)おもちゃの腕を落とした少年。
部活で汗を流す学生たち、公園ではしゃぐ子供たち。

榛名とケッコンした提督でもあり、ルリアのパートナーでもある筆者としては、
「今年新入部員何人くらい入るかな〜」と言っていた
東山奈央ボイスの子が可愛くてしょうがないのですが、
それは置いといて。


まとめると、現在進行形で何かに熱中している人たちは
冷酷には描かれていない
ようで、
これは一つのポイントになるかもしれません。

武内Pに不信感を抱いていた凛も、
今はまだ打ち込めるものがない側の人間ですしね。



もっとも、他の何かに熱中しているモブキャラたちは
わざわざメインキャラにアプローチをかけてはこないため、

言葉や視線を投げかけてくるのは冷たい人間ばかり
という印象になっています。


凛がアネモネを眺めながら想いを巡らすシーンで挿入された
「桜の木と卯月(と武内P)のカットは、

“何もかもが冷え切った無機質な世界に、
たった一本咲く桜
(=精神の美、純潔)

のようなイメージすらも喚起させ、

卯月の持つピュアな想いの尊さが、突出して神々しく感じられます。





とはいえ、今話を観て

「卯月チョロ過ぎね?」という意見は、当然あると思います。


「怪しい宗教」に引っかかってるようにしか見えない、と。



実際、それは正しいのだと思います。

凛も怪しんでましたし、
筆者の第一印象も似たようなものでしたし。


特に当記事のような見方だと、
QBさんという“悪しき先例”があるので、なおさらです。




でも、今話で描かれているのは、


「CINDERELLA PROJECT」の話を持って来た武内Pは

QBさんのような連中とは根本的に違い、


ビジネス(≒私欲)のためだけでなく、
彼女たち自身のことまで慮り、
本当に救いになろうとしている
、ということ。



そして、

この手の勧誘に「引っかかる」人というのは、

「あからさまに怪しい物」に騙される「愚者」
だから引っかかるのではなく、


一人の人間として各々切実な想いを持っていて、
勧誘側の言葉に何かしらの救いを感じて
引っかかるのだ、

ということだと思うのです。


(特に、うつ状態にまでなっている人だと
特定の何かに『しがみついてしまう』性質を持っているので、
そこにつけ込んで搾取しようとしている奴なんてのは、心底ドス黒い邪悪ですね)





武内Pの姿勢について、視聴者は
今話全体のいろいろな情報から、“そう”だと判断することができます。

詳細は上の方で解説済みなので割愛。



では、卯月自身が(視聴者と同じように)判断したタイミングはどこかというと、

まず前提として、前項で書いた卯月の性格分析と、



卯月が武内Pに対して

「どうして私なんでしょうか?」

と、不安げに
尋ねるシーンがポイントになると思います。




デビューと聞いて最初は浮かれていたけれど、

その後、ふと疑問が頭をもたげ、

(訊く事訊く事すべて『企画中です』と言われて、
デビューの話、本当に本当なのかな…と僅かに疑った部分もあるいはある?)



卯月は恐る恐る、上記の質問を武内Pにぶつけます。
その時の回答が以下。



「笑顔です」

「笑顔…」

「はい…説明不足でしょうか」


「…いえ」
「いいえ!」



「笑顔だけは自信があります! ブイ!」






この太字の箇所の声色に自分はグッと来ました。




「笑顔しか取り柄のない」自分。


あくまで想像ですが、

『でも、そんなの何の役にも立たない』
と思っていたのではないでしょうか?




その「笑顔」の価値を認めてくれて、
声をかけて(見つけて)くれた。



(実際には、武内Pは
凛の時と同じような意味で言った可能性がありますが)





この時点で、卯月は
「この人をどこまでも信じよう」という
腹を決めた感があります。


その後、どれだけ待たされても、
もうすぐデビューできる事を純粋に信じて
ひたすらレッスンを続けていました。





自分自身、最初は変質者と勘違いして叫び声を上げた相手を、
そこまで純粋に信じることができる。


それは、

「きらきらしていない」自分だけど、頑張り続ければいつか輝ける―
というピュアな夢を、“それでも”諦めず信じ続けている。


また、「みんなと違ってきらきらしていない」という想いの裏返しとして
“相手の中にきらきらを見出せる”
卯月ならではでしょう。




そして、そんな“ピュアな夢”
(ステータスや人の上に立つこと、金儲けが目的ではない)
を持つ良い子(卯月)


「信じられる」と思った人間だからこそ、
凛も信じてみようと思った


(厳密には、“信じたいと感じたことは正しかったのか”確かめてみようと思った)のでしょう。


卯月が信じる武内Pを信じる。
奇しくも765版錦織監督の手がけた穴掘りシモンとアニキじゃないですか!




(夜の自室で凛が思い返していた、
“桜の公園に立つ二人”のイメージの中では、

武内Pは卯月よりも奥に立って
=存在が小さくなっていました。



※【追記】:
7話翌週の「Special Program」にて
武内さんが語っていたことで気付かされましたが、

武内Pは遠くにいるだけでなく、
桜の木の影の中に立ってもいますね。




自分自身の中では、卯月は信じられるが、
武内Pはまだ100%完全には信じられた訳ではない


…という、微妙な心象風景なのでしょう。


卯月には『改めてよろしく』
武内Pには『あんたが私のプロデューサー?』という、

挨拶後の第一声の違いにも、それが表れています。)





卯月は「みんなと違って、私には価値がない」
凛は「みんなは私を受け入れてなんてくれない」


内容は対照的ながら、共に自信のなさを抱えた二人。



これはまさに、
「まどマギ」のまどか・ほむらが抱える想いとまったく同じであり、

また、彼女たちとまったく同様の、二人で対となる関係と言えます。




どちらかと言えば
「ポジティブに受け止められることの多い」気質を持つ卯月が、表の主人公。

「ややネガティブ寄りな」凛は、裏の主人公。




センターではないはずの凛が
これまで「一番手」としてプッシュされてきた理由。


同じ「ニュージェネ」メンバーでありながら、
この二人が先行してフィーチャーされることの多かった理由。



そして、彼女たちのソロ楽曲
「Never say never」 「S(mile)ING!」
の歌詞の本当の意味。




それらがこのアニメ第1話で、ハッキリと示されたように思えます。



 

■未央について(仮)


欠員補充のオーディションにて初登場した未央。



どーでもいい事かもですが、この時の未央の番号が4番


今話の締めくくりに描かれたことといい、3人目であることといい、



「4番、サード、本田」

という、
松嵜麗さんのウグイス嬢風アナウンスが聞こえてきそうな真打感です。




EDで卯月、凛、未央が歌った「メッセージ」という曲は、

「告白されて胸がドキドキ」というシチュエーションを借りて
自分たちを見つけてくれたPへの想いを歌った

(と解釈できる)楽曲です。



本編(A・Bパート)では
卯月と凛の二人がメインで描かれていましたが、

ラストにこのシーンが入ったことで、
3人とも「今話で武内Pに見出された」ことになりますね。




原作ゲームでは、少々お調子者の気もありますが、
底抜けに明るい(それこそ長嶋選手のような)キャラクターとして描かれている未央。



この未央が、

“自信のない”卯月と凛に出会い、

二人と同様に自信のない武内Pと関係を築き、


「ニュージェネレーション」として、どのようなドラマを見せてくれるのか。



来週以降が本当に楽しみです。



 

■「バッドエンド」を越えて


この項は、シンデレラそのものからは少しだけ離れた話題になりますが、

このシリーズ記事のコンセプト的には
どうしても書いておかないといけない事なので書きます。



この記事がどれくらいの方に読まれるのか定かではありませんが、


世間には、この「シンデレラガールズ」を
「まどマギ」と同じ文脈で語ることについて、


ひいては「まどマギ」という作品の根底に流れる価値観について
眉をひそめる方もいらっしゃるのだろうな、と思います。




“『願い』は必ず『絶望』で終わる”なんて、

挫折して辛い境遇にいる最中の人
(ちょっと前の自分とか…)にはリアルに共感できるかもしれないけれど、

そんなのは、悪く言えば「卑屈」であり「負け犬根性」に等しい
ようにも思えます。



なので、「両作の“深層テーマ”に共鳴できたから自分は偉い」なんて一切思ってなくて、

むしろ、全くピンと来ない人の方が幸せな人生を送っているんじゃないか
とさえ思います。




そして、自分はいま、

“共鳴してしまった人間”だからこそ、


飲み屋で延々クダを巻くがごとく
いつまでもそこに浸り続けたい、というのではなくて、



「祈りで始まり、呪いで終わる」
この“クソッタレな”ループを


断ち切って欲しい。その先の世界を見たい。


と思ってるんですね。




まどマギが
「TVで綺麗に終わったのにまだ続けるのかよ…」なんて言っているのは、
内心「さっさと消えて欲しい」人なんじゃないか?とさえ自分は思っていて。



だってあれ(TV版)、明らかにバッドエンドじゃないですか?




見滝原で起こった「一ヶ月間」の出来事は落着し、

QBさんと彼の価値観に対して
“叛逆”して、“一杯食わせる”こともできたかもしれない。


でも、ほむらとまどかは「永遠に触れ合うことのできない次元」に引き離され、

まどかのお母さんも、“潜在的な喪失感”を抱いている。


さやかも「これで良かったんだ」なんて言いながら消えていったけど、
だったらなんで泣いてるの?


で、結局、改変後の世界でも
呪いが姿を変えた連中は消えていなくて、
QBさんも何食わぬ顔で登場する。



この結末を、あるいは「トゥルーエンド」だという見方はできるかもしれないけれど、

「グッドエンド」などとは到底言えないわけです。




“『かつてない数字』を叩き出した『話題作』だから、ただお祭りとして楽しんでいる”
人も、中にはいたのかもしれませんが、

(もしそれだけを基準にしていたら、これからは
『ラブライブ!』2期の方が作品として上だ!という言葉を
延々聞かないといけないということになりますね。
『深夜アニメ』という枠を外せば『さらに上』にエヴァ、そして…以下略)




「一億総うつ時代」と言われることもある現在、

魔法少女たちと同世代の子じゃなくても
(たとえ彼女たちの親にあたる、華やかなりし『バブル世代』の方であっても)、


挫折した経験や辛い想いを抱えて純粋に共鳴し、
彼女たちに感情移入して、


「もっと先(悲劇ではない、救われる結末)を見たい!」
と願っている人も、たくさんいると思います。


(だからこそ『叛逆』を観に行って、ラストにショックを受けるわけで…)




続編として作られた「叛逆の物語」もぶっちゃけバッドエンドだったので、


まどマギの方は、果たしてそこに辿り着くまでにあとどれだけかかるのか?
そもそも辿り着けるのか?


(当の脚本家・虚淵さんが“バッドエンドで締めて納得”な人だと思うので…)


正直全くわからないんですが、





もしかしたらそれよりずっと先に、

「シンデレラガールズ」が
それを具現化してくれるかもしれない。





“『私』はみんなに受け入れてなんかもらえない”

“『私』には何の価値もない”


という絶望から始まって、



765プロの面々や、346プロの先輩達のように

心の底からきらきら輝く、

希望に満ちた、夢が花開いた結末を迎える。





もちろん、「けいおん!」等の勢いが強かった頃に作られた765版が
「日常系」から入って、“みんなで繋がること”を強調したように、


アニマススタッフは世相というか流行をかなり意識して、
作風をそちらに寄せる
きらいがあるとも思っています。

それはもう、原作本来のコンセプトが
一見した程度では分からなくなるほどの距離まで。




だけど。ひょっとしたら。




オマージュ先とはまるっきり逆順の、
さらに先を行くような結末
を見られるんじゃないか?



そういうささやかな期待、希望を
今作に対して抱いているんです。




それは、「Nation blue」の
「諦めること無く 前を向いて 自分信じてね」
という歌詞や、

アネモネの花言葉のように。



 

■次回、第2話「I never seen such a beautiful castle」



「こんな綺麗なお城、見たことない」




次回のサブタイについては、
「その週のうちに、次の展開について考えたい」と思わされた話数のみ取り上げ、
そうでなければ基本触れないつもりです。


ただ期待して待つ。
そして、出されたものを全力で咀嚼する。

それだけでも、十分に楽しめる作品だと思っていますので。

【追記】:後出しジャンケンじゃなくて、
1話時点から本心でそう思っていました。
信じていただけるかは別として…



次回についても、
多分、うづりんの二人が「お城」に初めて向かうことになるのだろうな。

そして未央と出会って…



それ以上のことはなんにも浮かびません!



今はただただ叫ぶだけです。
あー楽しみー!!





→各話リストへ

 

- 0 Comments

Leave a comment

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。